北書店オープンしました。
モロモロ間に合うかどうかとてもドキドキしつつ開店準備を進めていた北書店も、無事オープンしました。取り急ぎのホームページも作成しています。
http://kitashoten.net/
今後色々な機能を取り付けていきたいと思うのですがまだ未定。
↓開店前修羅場の頃に撮った記念写真
そして5月4日には、「にいがた空艸舎〜その2〜」にも来ていただいた、foodmoodなかしましほさん(旧中条町出身)に来店いただき、おやつ教室を開いてもらいます。まだ詳細が未定ですので後ほどアップします。GWですので気になる方は今のうちから予定を空けておいてくださいね。北書店になかしましほさんが来て、お話をする。なかしまさんのお人柄やお仕事の姿は、北書店の目指しているところと何かこう、とてもピッタリくる感じなのです。開店初のゲストにはこれ以上なく相応しい方だと思います。お迎えできることがすごく嬉しいです。
開店してからもう何回も通っていますが、一言で言えば
「小さい書店は楽しい!」
という気持ちを思い出しました。子連れのお母さんにもオススメです。佐藤店長がこだわっている「絵本」コーナーの渋いラインナップ、お知り合いの幼稚園から譲り受けた小さなイスやテーブル達が可愛いです。そして店全体が見渡せるので、お母さんも子供もお互いに安心して自分の好きな本に没頭できます。うちの相方も「子供ができてから初めて、本屋さんであんなにゆっくり本を見れた」と言ってました。
北書店は、新潟とくらしがメインテーマの書店です。開店後最初のフェアがアノニマ・スタジオさんというのも象徴的ですが、毎日を丁寧に暮らし、ささやかな楽しみを見つけることが好きな人に、ピッタリの書店です。入り口入って正面の暮らしコーナー、両脇の新潟コーナーは、面積は少なくても行くたびにそのツナガリにワクワクし、時には思わずにやけてしまうこと請け合いです。
しばらくは「よりみちパン!セ」の全点販売もやっています。中学生以上向けがコンセプトのシリーズですが、本当の中学生はどれだけ読んでいるのやら?オトナこそが読んで唸らされます。分かりやすく簡単に表現することが、いつだって一番難しい。もし未読の方がいたら是非!
そしてそして。INAX出版の図録関係!私はこないだのアノニマさんのBookMarket(→レポート)でその素晴らしさを今さら知ったクチですが、どれから攻めようか行くたびに迷わされます。
ちなみに私が開店後最初に買ったのは『日本の名随筆71 食器 増田れい子編』。この「日本の名随筆」シリーズで1つの棚になっています。自分的には北書店がなければおそらく絶対買わないジャンルの本でしょう。早くも次に何を買うか迷っています。
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開店1週間後に開かれた記念パーティーでは意外な人にお会いできたり、空艸舎の人達ともゆっくりお話できて、とても楽しかったです。
パーティーではいきなり挨拶をふられマトモに何も話せませんでしたし、TVのインタビューもヒタスラに断っていましたが、別にそうでなくても、ウチに帰ってゆっくり考えても、北書店や本屋さんに対する想いはうまく言葉にすることができませんでした。「新潟のことを考えてるんですね?」といわれてもピンときません。アタマが悪いので、そんな大きなスケールではモノゴトを考えられない。たとえばにいがた空艸舎も旧齋藤家別邸のことも、「新潟のことを考えてやってる」とはあまり思ったことがないのです。自分がやるべきだと思うことをやっている。それ以上のことはあまり考えていないし、気持ちは、うまく言葉にできない。
なのですが先日ミシマ社さんのwebマガジンで、三島社長のこんなコラムを読みました。
ミシマ社の話「第19回 革命よりも(Not Revolution,but・・・ )」
(前略)
実際のところ、今ぼくたちが真摯に向き合わなければいけない現状は、こういう姿なのだと思う。「ここに、大きな大きな古木がそびえています。
その木は『樹齢150年だよ』といわれることもあれば、いやいや、優に千年は超えるという人も。とにかく、とても古く、とても大きな木です。
この木は毎年毎年、大きな果実を生み出してきました。その果実をもとめ、たくさんの人やものが集まってきました。星の数ほどの有象無象が一本の木にぶらさがったり、木の下で雨をしのいできたのです。
この老木は奇跡的な働きをして、これまで長年多くの人たち(もちろん、この木で育ってきたぼくたちみんな)を支えてくれました。だけど、どんな大木であっても生きるものすべてに寿命があります。
いまや、根っこは弱り、幹は朽ちかけています。それは誰かのせいという次元の話ではなく、たんに寿命がきつつあるというだけのこと。
もう、大木にこれ以上の負担を与えないで、そっとしておくべきときです。
ぼくたちがやるべきは、その大木が生きながらえているうちに、小さな苗木を植えること。
けっして促成栽培することなく、地中深くにしっかりと根を張った木をそだてること。
その木はかつてのように大木にはならないかもしれません。
けれど、嵐の日も雪の日も、けっして倒れることのない木。
毎年毎年、豊かな実をもたらす木。
こうした小さくて、しなやかな木々が、あちこちで出てくるようになれば。
そしてその萌芽は今もう、実際に見られるはずです。
ぼくたちは、その芽を愛情たっぷりに育てていきたい。
百年は倒れないような根をはりつつ」そういう姿を見据えつつ、これからの出版のことを語る必要があるとぼくは思う。
出口は多様であればあるほどいい。
本屋さんでも、ネット書店でも、電子ブックでも、いろんな形で「本」というものを享受できるのであれば、それでいい。あとは、それぞれの人の趣向やライフスタイルや気分にあわせて、一番フィットするものを選んでいけばいい。だけど今、出口に贈るべきものを産む「木」そのものが弱っている。入口がふさがりつつある。
入口が完全にふさがってしまったら、二度と開けることができないかもしれない。
大木が倒れてからでは、新しい木を植え育てることは不可能かもしれない。
だから、まだ大木が維持されているうちに、新しい木を植え、強くしなやかな木を育てていかなければいけない。
革命では、木々が倒され、ぺんぺん草になることはあっても、けっして木は育たないのだ。
「一夜にして、すべてがドラスティックに変化した。出版が抱える問題も本づくりの手間も何もかもが、過去の心配事にすぎなくなった——」
そういう物語を信じたくなる気持ちもわからないでもない。
けれど、現実の世界では、じょじょに過去の遺産は失われ、蓄積されてきた技術や態度やら大切なものごとが消失しつつある。
忘れてはいけないのは、革命じゃ、根っこは根付きやしないってことだ。じゃあ、硬いかたい地面をやわらかくし、根の入る隙間もない地中に根をはるにはどうすればいいのだろう?
答えは・・・愛情こめて耕す、それしかないのではないだろうか。
誰かが耕してくれていた肥沃な土壌が貧しくなったのであれば、一から、土壌づくりからやるしかない。
それはその土地で生きようとする人たちの日々の献身的な行為でしか実現しない。実を収穫するまえのとてもとても地味な行為だけど、だれかがやらなければ、未来のある日、「採るべき実はまったくありませんでした」、そう言っていることも十分にありうるのだから。
(後略)
ああ、そうゆうことなんだ。と、少し楽になった気がしました。
もし自分がやらなければ、もう次の世代に荒れ果てた土地が広がっているかもしれない。種を蒔いてもおそらくかなり長い間は、何も変わらないだろう。そのまま枯れてしまうかも知れない。でも蒔かなきゃ、それを地道に、丹念に育てなきゃ、何も変わりようがないし、残念だけど何も残せない。
にいがた空艸舎を始める前に皆で考えたテーマも、「種まき」でした。
そういったことを何か本能でというか、無意識下で感じているんだと思います。
仕事に於ても、例えば私なんかの情けない人間はいつでも、いきなり超ビッグで儲かる仕事がどかーんと天から降ってくることを夢見てきましたが、そんなことは今までだってなかったし、これからもない。もしあったとしたら、それは、そこまでの小さな積み重ねがあったからこそですよね。いい加減分かってくる。
身のまわリで、自分にできることをとにかくちゃんとやるしかないんだと思います。それでしか未来は開けない。だけど、それだけなんだけど、なんと難しいことか。「君にだけは言われたくない」という言葉が聞こえてきそうです。
「まちづくり」にも同じことを感じます。新聞で「まちづくり」のニュース、跡地を何にしたり、再開発でどうしたり、道路をナニしたり、公共交通機関がどうの。そんなスケールでモノゴトを考えられない人間なのは前述した通りですが、それだけではない、違和感を感じてしまいます。
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本屋さんのこと。私たちの世代がまだ持っている、町の小さな書店の記憶。どの町にも必ずあった、小さな新刊書店や古本屋さん。何も目的がなくとも、「まず行く」ことが当たり前だった町の本屋さん。新刊書店だけでは得られない出会いが楽しみだった古書店巡り。(小さな新刊書店が成り立っていた理由には、勿論問題もあったのですが)
これらの体験は、今の子供たちの世代には、完全に理解できない「昔のお話」になってしまいました。勿論そのままで変わらぬものなんて何もない。だけど、形を変えることで次の世代に繋ぐことが少しでもできるなら、とやっぱり思ってしまいます。
そんな中で、少なくともウチの3歳半の娘には、行きつけの小さな書店ができました。用がなくとも幼稚園の帰りにはお母さんとそこに行き、大好きな「さんとてんちょう」につきまとい、本のことを教えてもらう。そんな体験をさせることができています。このことを思うと、ちょっと涙が出るくらい幸せな気持ちになります。結局自分のやりたかったことは、こんな所にあるのかも知れません。
さてもはても、北書店のこれからに、ご期待ください。
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北書店絡みでいらっしゃった方に、一度きちんとお伝えしたいことがあります。
北光社があのように閉じてしまったのは、決して近年の売上げが悪かったからではありません。この出版不況の中、北光社はここ数年キチンと黒字を出していたと聞いています。問題は借金の金額と、借金をしていた取次の方の状況悪化だったそうです。このことは最初新聞にも書かれていた気がするのですが、その後はあまり話題にされませんでした。
【当ブログ内の、北光社・北書店関連記事】
●にいがた空艸舎〜その2〜の予告(2009.09)
●にいがた空艸舎〜その2〜の報告(2009.10)
●本当に残念です。(2009.12)
●北光社へのメッセージを募集しています。(2010.01)
●ミシマ社HP「本屋さんの遊び方 〜新潟市の古町十字路に店を構える老舗書店・北光社の佐藤雄一店長に聞きました」
●ミシマガジン「本屋さんと私」第31回 編集も営業も一冊入魂です!「「坪単価最強書店」はすごかった!」
●新潟に北光あり:北書店オープン(2010.04)
●北書店オープンしました(2010.04)
●『HUGE』の特集に北書店(2013.01.09)
●『ダ・ヴィンチ8月号』特集新潟パートの写真を担当しました