東北大地震から一週間
「もしも、すべてが夢だったら。
目を覚ましたら、妻も子供も隣でいつも通りに寝ていて、ああ夢でよかったと、心から安堵するんだ。
みんなで朝ご飯をいつも通りに食べながら、さっきまでの悪夢の話をして笑うかも知れない。もしかしたら、もうその頃には悪夢の内容なんて、あの大地震や津波のことなんて、忘れているかも知れない。」
被災者の方達が、それこそ何度も夢に思ったと思う。
だけど「夢だった」のは私達で、彼らの悪夢は何度寝て起きても現実だった。
私達はこっち側にいた。だけどいつ向こう側といつ入れ替わっていても、全然おかしくなかった。
私達だったかも知れない彼らは、とても「遠くの他人」とは思えない。実際に知り合いも、知り合いの家族もいた。これからも、寒さや暑さの中で地獄のような日が続くかも知れない。
皆さんが、少しでも光の方を見つめることができるように。
私達(有)カメガイアートデザインは日々の営みを大切に、できる限り業務を続けることで日本経済を復興する一端を担い、東北地方へ寄付を行います。そして少しでも早く、被災者の人達の心に平安が訪れるよう祈っています。
祈るしかありません。ひとりでも多くの命が救われますように。人災で命を失う人がこれ以上ふえませんように。この星を離れる魂たちには、せめてやすらかな旅立ちを。
ぼくも、ほっとけば、暗くなります。
悲しいニュースや、悲惨な報告が、
尽きることなく流れてきますし、
それをまた、見ることが義務であるような
不思議な心持ちでいますから。深い悲しみや恐怖や、強い刺激に、
人間のこころは、とらわれやすいんですよね。
ほっとくと、暗いところばかりに目が行くし、
そのほうが、ちゃんとしているような気になりやすい。
だけど、洞窟の闇のなかにいようが、
射してくる光を見つけないと脱出できない。
その光の穴から、空気も、希望も出入りするんです。
・現地で、外国の人も含めて、たくさんの人たちが、
自らの不安や恐怖を振りはらって、
救助や、復旧、安全の確保にあたっています。
そして、被害の少なかった地域の人たちは、
「なにをしたらいいですか?」と手を差しのべてます。
それが光であり、それが希望なのだと思うのです。
目をそっちに向けよう。
そこから、じぶんのできることを探そう。
闇の深さではなく、光の明るさを数えようと思います。
お見舞いの気持ちと、哀悼の気持ちを持ちながら、
光の見える方向で、できることはあります。
まず、現地で救援している人たちの役に立つことです。
ここではオリジナリティなんか不要です。
「助け」の助けになることを、しようと思います。
ほぼ日刊イトイ新聞 / 3月13日の「今日のダーリン」
2 反発されるかもしれませんが、言います。
「金」は、その心が尊いというのもほんとうですが、
アルバイトの時給が1000円の時代の「貧者の一灯」は、
「小銭」ではないと思います。
寄付の相場を、いま上げるべきじゃないでしょうか。
かなり大事なことだと思うのです。
3月13日3 お金のことを言うのはむつかしいですが、続けます。
お祝いだとか、お悔やみだとかにも相場がありますよね。
今回、たとえば、
「じぶんひとりを3日雇えるくらいのお金」
と考えたら、どうでしょうか。
はっきりとした「実力」になると思うんです。
3月13日4 さまざまな角度から、
反論も攻撃もくると思いながら言ってます。
気に障ったら、ほんとうにごめんなさい。
いわゆる小額の寄付について、
企業や組織でやったことのある人はわかると思うのですが、
経費のほうがかかるくらいになることが多いのです。
キャンペーンより、実効がほしいので。
3月13日
ほぼ日刊イトイ新聞 / 糸井重里が寄付に関して書いた6つのツイート
2 こころのことは、別にしました。
愛であるとか、尊いお気持ちであるとか、
それはそれは大切なものだと思います。
でもいまは、見えるもの、食えるもの、あたたかいもの、
いのちの助けになるもの‥‥とても具体的なものが、
必要な時期だと考えました。
愛ややさしさは、そのままご自分の胸のなかに、
大事に保管しておいてください。
大きく育てておいて、いずれ使ってください。
いま、ぼくらは具体的な力を集めます。3 かっこいいアイディアは、ありません。
奇手奇策、胸の空くようなアイディア、
みごとな表現、さすがと言われるような方法。
そういうものは、ないです。
「実効」のあることを、とだけ考えました。
たとえば、神戸の仮設住宅生活者や復興住宅生活者は、災害から10年の間に数百人と孤独死で亡くなっている。災害によって生活を破壊され、見知らぬ住人たちとコミュニケーションを築けず、アルコール依存症に陥ったり、自殺したり。そんな状況を知ったのは最近で、「そんなひどいことになっていたのか」と驚いた。つまりそれほど無関心だったのだ。
もうあの無関心だけは繰り返したくはない。「被災地に飛んでいきたい」という激烈な熱情よりも、ずっと静かに関心を持ち続ける。そう心構えを切り替えた。救助のスペシャリストでもない私ができるのは、三年、五年と忘れずにいる継続力だ。
活動はわりと地味だ。募金をし、被災地に復興のきざしが見えたらそこへ行き、その土地のファンになる。イベントが催されたらそれを楽しみ、地元産の酒や食品を購入し、宿に泊まり、そしてその土地のニュースを日ごろから読む。このネット時代なら、いくらだって情報は手に入る。根気がいるけれど、誰にでもできる活動だ。
「もっともっと地震の情報を!」と貪るように情報入手に励んだが、時間が経てばその逆で、いくら情報を配信しても、人々のほうが耳を傾けなくなる。そういう残酷な時間がいずれやって来るだろう。メディアのほうもやがては新しい話題に飛びつくだろう。
けれど私には、旅の思い出がある。山と海の間にたたずむ静かなリアス式海岸の集落、芭蕉が称えた松の木の島。近代的な仙台空港のロビーや、仙台港のぴかぴかのショッピングモールが目に焼きついている。どれも好きな風景だった。その風景にまた触れたくて、これから何度も足を運ぶだろうと思う。
今は声もでないくらいに破壊されてしまった。長い時間がかかるだろうが、きっと復興するだろうと信じている。しかし町の復興というのは、地元の人々だけで成し遂げられるものでもない。「頑張れ」とエールを送るのもいいが、私のようなよそ者も、その土地の復興の行方を担っているのだという自覚ぐらいは持とうと思う。
深町秋生のベテラン日記 / 今もこれからも、すてきないい町
今回の震災で、被災した人の役に立ちたい、被災地のために何かをしたい、と感じている若い人達がたくさんいると思う。でも慌てないで欲しい。今、あなた方が現地で出来ることは、何一つ無い。現地に存在すること自体が邪魔なのだ。今は、募金と献血くらいしか無いだろう。それでも立派な貢献だ。胸を張って活動して欲しい。
そして、是非その気持を、一年間、持ち続けて欲しい。もしも一年経って、あなたにまだその情熱が残っているなら、活躍できるチャンスが見えてくるはずだ。仮設住宅でのケアや被災者の心の病、生活の手助けなど、震災直後よりも深刻な問題がたくさん出てくる。そういった問題を解決するために、NPOなどが立ち上がるだろう。その時に初めて、被災地は「何も出来ないけど何かの役に立ちたいと思っている、心優しいあなた」を必要とするのだ。もしかするとそれが、あなたの一生を変える大きなきっかけになるかもしれない。
chodo’s posterous / 被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ〜僕の浅はかな経験談〜
福島市の皆さん、南西に向かいましょう。色々事情はあると思いますが子供達だけでも、命を繋ぎましょう。マスクをしてなるべく外気に触れないように。海藻もってね、あとで大丈夫だったら、そのときに一緒に笑いましょう。
Twitter / @ankaju
明日から働くぼくらにできることは、“日本をとめない”。
Twitter / @kobahen
震災に居あわし、難を逃れたサンドウィッチマンが
その日、マイクに向かって東北なめんな!!
と叫んだというけど、
その気持ちが いまごろ腑に落ちる。
怒りに火をつけないと、
別の感情につぶされてしまう、
立ち続けていられない、
そういうことだったか。※
先般テレビで紹介されていた13日の「インデペンデント」紙の一面。
日の丸の真ん中に「がんばれ、日本。がんばれ、東北。」の
文字をあしらったデザイン。
見出しは、Towns vanish, thousands die
– but a nation begins its fightbackfightback。反撃。
原発2号機の格納容器損傷の恐れ、という、
いよいよ深刻なニュースに、
おおっ、やってやんよ!!!と心で叫ぶ。
おれたちを。なめんな。
コトバのメモ / 東北なめんな!!
とにかく仙台(市内しかわかりませんが)の人たちはすばらしい人たちです。みんなが自分ができることで協力し、奉仕しています。2日目の早朝から食料を配布はじめたスーパー、快く部屋や食べ物を提供するホテル、混乱もなく整然と落ち着いて順番を待つ人たち。待っている間に世間話や情報交換してくれる人懐っこさ。ここには助け合いの精神のすべてがあります。
東京に一日も早く帰りたいですが、この街で受けた恩を忘れることはないですし、これからずっと再建に向けて自分なりにできることをやっていきたいと思ってます。今この瞬間も余震が続いていて安心はできませんが、仙台の人たちはこの困難を乗り越えるでしょう。大地震は大変な体験ですが、一方で大切な体験もさせていただき、いろんな意味で自分のことを見直す機会を与えられました。
渡部薫@sorahikaru:アゴラ / 仙台のやさしさに触れた3日間
このような大きな悲劇を受け、思い出されることがあります。それは、過去に世界各国で同様の惨事が起き、日本がWFPと共に緊急対応をした際のことです。緊急対応にかけつけた日本の支援隊の勇敢で献身的な姿勢、そして人命を救い被害を食い止めるために日本政府がとった断固たる処置の数々に、私たちWFPの職員すべてが感銘を受けました。
私たちは、日本から、困難に立ち向かう回復力というものを学び、そのような精神を持つ日本に対し、敬服の念を覚えています。日本は、世界で悲劇が起きWFPが出動した際、最も多くの支援を差し伸べてきてくれた国の一つです。そして今日、WFPは日本と共にあります。
WFP 国際連合世界食糧計画 / 日本で発生した地震について〜事務局長声明文〜
最初の震災から35時間後、次女が生まれました。このような時に新しい命を授かった、そのことを忘れないだろうと思います。