城下町しばたのいまと未来
去る2月16日&17日、日本建築家協会(JIA)関東甲信越支部が主催するイベント、『城下町しばたのいまと未来』に参加してきました。現在進行中の仕事に関係する内容でしたので、土曜は女性デザイナー2名を連れ3人で参加。日曜のシンポジウムは私1人だけが参加しました。
『城下町しばたのいまと未来』
まちの資産をどう生かすか?
「守る」「活かす」「創る」景観まちづくり新発田城周辺から石泉荘までのエリアは歴史・文化的建物が比較的多く残っています。今回、城下町しばたの今を考えるとき、街を形作ってきた新発田城周辺エリアの優れた建物を市民の皆様はもとより多くの方々に再認識していただくと同時に、今後の保存活用について考えてみたいと思います。
〜大会プログラムより〜
.
とても勉強になった二日間でした。今の仕事が新発田においてどういった位置を占めることになるのか、その関係を概観できたのが一番大きかったと思います。
1日目の「ウォッチング」では、新発田にある歴史的な建物、建築的に重要な施設を順次徒歩やバスで見て廻りました。以下のラインナップです。
自衛隊白壁兵舎・清水園・石泉荘・足軽長屋・新発田城(辰巳櫓)・新発田カトリック教会・宝光寺・吉原写真館
全体を通して強く印象に残っているのは、清水園・石泉荘の素晴らしさ、そして宝光寺をはじめとする荘厳なお寺が沢山並んだ「寺町通り」です。寺町通りは今でも各団体の働きかけで随分と街路景観が良くなっているそうですが、さらに一工夫すればぐっと古都の雰囲気が出、歩くだけで楽しい通りになり得るのではないでしょうか。
2日目はシンポジウム。午前中は地元でまちづくりの活動をされている市民の方7名によるさまざまな発表。午後はそれを受けて専門家や建築家、市の担当者などによる「しばたの未来」を考える発表です。
1日中かけておこなったシンポジウムですが、ナカナカにこれでも時間が足りないという印象です。発表が殆どで、それを受けた討論を殆ど見れなかったのが少し残念。「机上の空論なのか、実際に有用なのか、具体的にどうしたら良いのか」といった考察は、参加者の胸の中に託された、というカンジでしょうか。
そんな中で「越後にいきる家をつくる会」の会長である村尾欣一氏の話が、群を抜いて心に響きました。近年、生活のあらゆるレベルで感じている「便利さ・安さだけを追い求めて、我々は何を失ったか」というテーマを、とても分かりやすく整頓して、代弁していただいたような気がしました。
まず彼が提唱したのは、「車ばかりに気を使った町づくりは、もうやめよう」という話です。車移動ではなく、徒歩や自転車移動が楽しくできる、高齢者にも住みやすい、そんなまちづくり。これこそまさに私が新潟でも感じているこれからのテーマでもあるのですが、同時に不可避な課題があります。駐車場がないというクレームをどうするのか、です。その問題をどう解決するのかという地元ガイドさんからの質問が最後にあって、解答を司会者に求められたパネラーの方がいらっしゃいましたが、残念ながらその答えはガイドさんが納得できるものではなかったと思います。
宮崎駿と養老孟司の対談集『虫眼とアニ眼』の冒頭に、とても素敵なまちのプランがイラスト入りで紹介されています。車の駐車場をまちのはずれにつくり、そこから中へ車は入ってこれない、徒歩や自転車、もしくは電気自動車を前提に考えられ、豊富な街路樹の緑に囲まれたとても魅力的なこの「未来のまち」像は、いつになっても私の中で「理想のまち」像として確固たる位置を占めています。
だけど、本当に「家に車を横付けできない」不便さに、自分が耐えられるのだろうか、とも思います。まち全体がそうなっていれば住むだろうか、いや相当の環境的メリットがないと自分は住まないのじゃないか。もしくはその土地の歴史的背景が重要なのか?それとも自分がそのまちに住んでいるという「誇り」が重要なのかも知れない。クルマのない社会といって例えばベネチアならば喜んで住むだろうけど、新潟市西区ならどうなのだろうか。でも本当に宮崎氏のプランのようなまちが新潟市にできたらと考えただけで、すごくワクワクしてくるのは事実です。ベネチアでなくとも、すごく住みたい。
じゃあ、クルマを横付けできないデメリットって、いったいどれくいらいのモノなんだろう。便利になった今だから享受していることだけど、別に駐車場から毎日歩くことが、そんなに致命的なことなんだろうか。「クルマ道路」を歩くのはイヤだけど、街路樹に囲まれた、歩くことを前提に作られた道路を毎日歩くことが、そんなに苦痛なんだろうか。
村尾さんも話されていましたが、まずは個人個人が、こういった問題を自分に問い直すことからだと思うのです。なかなか難しいですけどね。
便利さを1つ捨てることは、なんと難しいことだろう。その先には便利さと引き換えの豊かさがあるかも知れないのに、小さな便利を1つでも捨てることを、1ステップの後退と感じてしまう自分がいます。そしてここで思考停止してしまう場合が殆どではないかと。歩いて散策できる楽しいまちを今まで他の場所でいくつも見てきてるのに。自分のところでは、新潟ではできないと感じてしまう。
私1人でさえこうなのですから、町全体が一緒になって、便利に打ち勝つ輝かしい未来を手に入れるには、ライフスタイルや環境などの視点だけでは、改革は難しいと思います。
下世話だけどももっと万人に受け入れられる思考改革のきっかけが必要なのではないでしょうか。
******************
例えば新発田市内を走る7号線。周囲の景観を全く無視したパチンコ屋や墓石屋、大型店のド派手看板がならぶあの景観の悪さ(新潟市の8号線もそうですね)は、今回のシンポジウムでも何度か取り上げられました。日本のドコに行っても同じようにある、風景。うんざりするほど個性がなく、派手さだけが際立つ荒んだ光景。
だけど、この7号線の風景を何とも思わない人は、結構大勢いるのではないかと思います。
私自身の例で、電柱と電線の話をします。
私は、つい最近まで「電柱」と「電線」の張り巡らされた光景を、さほど悪いモノだとは思っていなかったという例があります。逆に電柱と電線を大いに嫌う私の友人がいますが、彼はカメラマンで、やはり写真がきっかけだったと思います。私の相方も同様に電柱と電線が大嫌いだと公言しますが、気にするようになったきっかけは、子供の頃の写生会だったと言っていました。自分には、そういうきっかけがなかった。
※それどころかある意味アート的な目線で電線の写真を撮っていたりしました。このちょっとやっかいな「アート目線」については、また別の機会に書こうと思います。
だけど、こんな自分でも、たとえば有名な古都と電線ばりばりの町並みの写真を比較して見ることで、電線の汚さに気付きました。良い物を見せられると分かるのですね。
同様に、7号線の景観を何とも思わない人でも、京都の古い町並みの写真を見せられれば10人中10人が「イイねぇ〜」と言うことでしょう。NHK『世界ふれあい街歩き』で紹介される世界の古都を観たら、10人中9人は「きれいな町だねぇ〜うらやましいねぇ〜」と言うことでしょう。だけど、地元の7号線だけを見てる限りは、それが悪いとも思わない。
つまり、世の中には色んな見方や考え方・感じ方をする人たちがいますが、こと町の景観に関して言えば
●良いモノを「良い」と感じるのは皆だいたい同じ
●だけど悪いモノを「悪い」と実感するのは大きな個人差がある。価値観の違いが出る。
のではないでしょうか。
******************
じゃあどうするか。たとえば具体的な比較写真を用意します。写真に限らずストーリーでも良いです。
一方には新発田の町並みの写真、もう一方にはその風景にできるだけ近い、日本のどこかの観光名所の写真。同じように見えるけど電柱・電線のない景観。同じようだけどクルマが主役ではない石畳の光景。無機質なコンクリのグレーが主張していない町並み。
一方には新発田の現状のストーリー。もう一方にはクルマ中心社会をやめて外来客の誘致に成功した観光地のストーリー(新発田が意識していると言われる村上なんかは身近な例ですが)。
「下世話だけどももっと万人に受け入れられる思考改革のきっかけ」を作るには、まずは価値観の共有から始める必要があります。つまり
●新発田のまちを盛り上げたい。
●お金が儲かるようにしたい。
そのためにはどうするか。「ああ、古い物を大切にして景観を整えなくてはいけないんだ」からはじめます。
景観を大切にする、クルマではなく人を大切にする、古い建物や町並みを大切に保存する、それらの本当に大切な意義は後でオイオイに分かっていただければいいのです。ゆっくりと、流行りゴトではなく、じわりじわりと浸透すれば良い。
シンポジウムでは例えば話として小田原市の例が出ていました。新発田とはまったく逆の例で、市をあげて城下町小田原を売り出し、あっちもこっちもエセモノであふれ返っている。うんざりするほど城や城っぽいモノの偽物で埋め尽くされた街。それに比べれば新発田はある意味びっくりするほど手付かずで、これから大きな可能性を持っていると。そのような話。
私の主張は小田原のような例を生み出してしまうリスクもあるでしょうが、それが果たして現状と比べて大きな「リスク」なのかどうか。前例があるならその検証である程度回避できる可能性が上がる訳だし、それをコントロールできるプランナーの存在だったり、ディレクターの存在でよりよいまちづくりへと進めるための、大切な参考例ではないでしょうか。
一般論ばかりで具体案を出さないのが嫌いなので、ここまで長いことだらだらと書いてしまいましたが、私の案はこれです。まず成功例と比較した写真や文章で「景観の善し悪しの価値観」を共通させる。その次には、まち全体が儲けるにはどうするか。大型郊外店ばかりで「まち」がどんどん荒廃していく、そんな現状をどうすれば脱出できるのか。城下町しばたの資源を、どう維持・管理すれば人の集まる(お金を落とす)素敵なまちになるのか。どうすれば住んでいることにプライドの持てるまちづくりができるのか。
そういった内容をパンフレットにして市民に配ります。クルマの入れない理想の「まち」像を、ビジュアルにして分かりやすく伝えます。「車が入れないなんて、こんな不便なの無理だよ」という問いに、他の都市の成功例で答えます。
クルマが中心ではないまちづくり、つまり(表向きは)便利さを捨てるという大改革を実現するのに、こんなきっかけづくりはどうかと思った次第です。
みんながみんな「古い建物を大切にしたまちづくり」の重要性を理解してもらえればベストですが、勿論それは難しい。だけど、時間をかけてなんとなく分かってもらうまでの仕組みづくり、さらには今後の子供の教育プランで「ゆくゆく分かってもらう」目標を持つことが重要なのではと思います。
個人的に子供の教育プランやワークショップなどは、特に、最重要課題だと思っています。