第一回「みずつち学校」に参加して
2012年の「水と土の芸術祭」のプログラムの一つとして開催された「第一回みずつち学校」に参加してきました。
ゲストは山形・東北芸術工科大学講師の宮本武典さんです。「にいがた空艸舎」の立ち上げパートナーであるF/styleは二人ともこの芸工大出身で、私は彼女達を通じて「TUAD AS MUSEUM」をはじめとする芸工大のアートプロジェクトのことを聞いていましたし、311以後は彼の実現してきた(今も進行中の)被災地復興、支援プロジェクトの数々を、リアルタイムで追いかけていました。
その彼が、あの迫さんと対談するとちらしで見て、これはもう行くしかないと即決しました。而してその内容、満足でした。終了後もお二人を含めた数人で夜の古町で楽しく呑んだのも良い思い出になりました。
さて、学校の内容はまず一時限目が「カミフル・ミステリー・ツアー」。上古町をシティガイドの方が案内するツアーです。このガイドの女性の解説が実に面白かった。通常2時間かかるところを今回だけ特別1時間バージョンだったらしいのですが、それもなるほどです。もっともっとお聞きしたかった。1時間では足りません。新潟島で一番古い神社とそのつくり、明和義人のぐっとくるエピソード(フランス革命前の初めての市民革命だったとか)。「通り」と「小路」とは。その由来。などなど。
2時限目は、上古町から出発したツアーがそのまま礎町通の木揚場教会に移動、お二人のトークショーが始まりました。その内容はみずつちの公式ページができ上がっていましたのでそちらでご覧いただけます。
→みずつち学校特設ページ
tumblrで作ってるあたりが「お、来年はちょっと違うな?」というかんじ。というか宮本氏を第一回目に呼んだ時点で既に「おお?」なわけです。この採録もテープ起しの苦労が偲ばれる大作。実際の1/4くらいにまとまっているイメージかな。お疲れさまでした。こういう記録はとってもありがたいです。
そもそも今回の進行役をされていたのは何と先日「一箱古本市inオギノ通り祭」で見事ブックライト賞を受賞した古書雑踏の方。ええーびっくり。その他にも次回の水と土の芸術祭スタッフには知りあいが何人か採用されていて、で、今年から既にこのような面白いイベントが開催されて。2012水と土の芸術祭、ちょっと期待しちゃいますね。
さて肝心のトークショーです。書いてるとキリはないので、個人的なポイントだけをメモします。
※進行は、まず宮本さんが自分の関わっていることについて話し、次に迫さん。最後に二人でお互いについて話すという構成でした。
【宮本武典氏】
キュレーター。東北芸術工科大学教員。詳しいプロフィールなどはこちらのページなどに。
–宮本氏の関わっているプロジェクトの一部–
→美術館大学構想 TUAD AS MUSEUM
→山形R不動産
R不動産中、唯一学生による運営。
→ひじおりの灯
→Rコモンズ
→福興会議
震災翌日にtwitter上で立ち上がった。
→東北復興支援機構
→荒井良二の山形じゃあにい
→スマイルエンジン山形
→ふくしまピクニック
●復興支援プロジェクトのメンバーには、実際に家族を亡くした被災者も入っている。そのことで常に自分たちが何をしているのか、を常に見つめることができる。当事者を入れることの重要性。
●被災して家がダメになった学生が、ある海外のアーティストから「その場所で踊らせてもらえないか」とオファーを受け、心底から、涙を流すほど腹を立てたエピソード。アートと復興の関係。
●被災した学生も含めた同世代が同世代をインタビューし、写真を撮る「3.11 After Report」写真を学ぶ学生は写真を撮り、民族学を学ぶ学生がインタビューを。
●震災直後に活動を始めて、今に至るまでも変わらなく支援が続いていく、そのことの大切さを思った。特にスマイルエンジン山形のレポートなどを読んでいると
とにかく、私が今言えることは、震災から7、8ヵ月たち、ボランティアの数が減る一方、ニーズはどんどん多様化しています。(側溝や個人宅の片づけ、更には農地の整備や大工仕事など、地域によっても復興の段階も違い、あがってくるニーズも違います。)
本格的な冬を前にして、ニーズの多様化はさらに進むと思われます。時間の経過とともにボランティアの必要性の認識も薄れ、人手不足に拍車がかかるのではないかと危惧しています。
などと書かれているように、今からこそが人手が必要になってくるようだ。
●地方とアート、地方とデザイン、これからの生き方。「東北6県中唯一の4大制芸術系大学」という責任。山形市では人口からしても、そもそもアート・デザインで食べていけない。じゃあどうするか。以下公式サイトより引用
アートやデザインの学びを活かしながら、どうやって日々の糧を得て自立していくのか?教える側は本当に考えないといけません。僕は、よく学生たちに「プロにならなくていい」と言っています。つまり、芸術やデザインや建築や民俗学を、生きていくための「教養」として身につけてくれればいいと。(他の教員には怒られそうだけど)優秀な学生には「公務員試験を受けてみたら?」と勧めています。そうすると、僕のこういう仕事がやり易くなる(笑)。いや、冗談ではなくて、地域社会で孤独で孤立した「異端」としての芸術家ではなくて、アートや文化で人々を、他地域を、異なる世代を、過去と未来を接続できる人材を育てたいと考えています。例えば、農業・観光・土木を面白くできるような人材です。そして、地元の自治体や商店街で、また家業を継いで、迫さんのような人がいっぱいになると面白いことが起きるのでないかと思います。
●続けることの大切さ。「小さいことでもいい、伝説になるまでやめるな」
●復興支援を、常にこちら側ではなく現地でのニーズを聞き、それに対応する形で行ってきたこと。そのことから生まれる信頼関係。
●地方のアート・デザインは「つながらないと生きていけない」。宮本氏の思うことをそのまま感じているかは分からないが、自分も最近無意識におこなってきたことのような気がする。そしてまがりなりにも「食べさせてもらっている」プロの自分達は、それに対する責任を負うべきであり、何かの形で周りの人達に還元すべきだと、ここ数年思いできることをやってきていた。
【迫 一成氏】
→hickory03travelersの代表。福岡県出身。上古町(という名前を付けたのも彼ら)の盛り上げ仕掛け人。
●「にいがた空艸舎vol.03〜空艸観光」でトークショーのゲストとしてもお呼びしていたのだけど、その時の話と、今回の話を合わせて改めて実感するところがあった。彼(彼ら)のポイントは「笑顔」だ。当たり前のことのようで、それを前面にやれているところはあまりないと思う。
例えば、hickory03travelersは定期的にスタッフ全員が集合した(笑顔の!)記念写真を撮ってブログ等に載せている。意識的なのかどうか分からないけど、その行為(写真を見せる)の意味は、実はとても大きい。
彼も語っていたけど、何故空き店舗ばかりだった上古町が、ここ数年でどんどん出店が増え、ほぼ埋まるほどまでに人気が出たのか。それは商業的にやっていけてるhickory03travelersをはじめとした先輩が「数軒」いたからだ。「食べていけそう」と思ってもらえることは、最終的な出店判断の基準になる。そして勿論なにより大事なのは「ここでお店を出したい」と思ってもらえることだろう。
上古町での出店を考えたときに、「笑顔」をイメージに出した、「お店を出して、食べていけてる」hickory03travelersの存在が、どれだけ心強いことだろう。しかも若い人が敬遠しがちな商店街の人付き合いにしたって、困ったらTOPに迫さんがいる!笑顔(のイメージの)迫さんが!(笑)
だけど、これを続けることの苦労はいかばかりだったろう。
(みずつち学校のすぐ後に新潟のテレビ局で迫さんの特集があって、ここ数年の活動を追っていたのだけど、それを見ていてすごいと思ったのが、迫さんひとっつもネガティブなこと言ってない。一言でも言ってしまったらメディアがどのように扱うか。どれだけその言葉を待って、勝手なストーリーに当てはめるか。(そして大抵は当事者にとって、ピントのずれた悲しいオンエアになる)それを知っている人だと、勝手に感じた。)
●今回宮本氏をお呼びして迫さんと対談させることで、迫さんのすごさが改めて具体的になった。これは恐らく会場の新潟の人達殆どが思ったことだと思うけど、代弁しよう。「宮本さんもすごいけど、迫さん、あらためてすげえな」
●元酒屋のワタミチを借り受けて改装し、「場」を作ったこと。色々あったけどその場での出会いが次に繋がっていき、人の流れと繋がりをつくり、上古町のポテンシャルを上げていった。その向かいには実店舗としてのhickory03travelersがあり(現在は元ワタミチの場所に移転)、デザイン事務所だけではなく実店舗として「食べていっていた」。最初はそのつもりがまったくなくても「ワタミチ」のプロジェクトが本店舗の顧客醸成にも間違いなく繋がっていたと思うし、上古町商店街としての活動も、(結果論だけど)最終的にはお店の繁盛との相乗効果になっていっただろう。また、デザイン業を営む上で、実店舗を持ち、常にお客様と対していること。これは自分もとってもうらやましいのだけど(イヤ大変なんでできないと思うけど)、得るものは掛け替えがないと思う。宮本氏も言っていました。お店を出すことの大切さ。
●商店街に先はないと言われる中で、「楽しんでいる自分たちをつくれたら何かが変わる」と自分たちがとにかく「楽しむようにしてきた」。
この場所をつくるとき意識したのは、県外の方に来ていただき、上古町を面白く、可能性のある場所だと思っていただきたいということです。そのために新潟のおみやげをセレクションし、デザインを施して提供するとともに、地元の人にとっては県外からの友人を連れてくる場所になるよう、日常っぽいけれど、ちょっとした非日常を提供できるようにとつくってきました。この大元には、以前同じ場所で展開した「ワタミチ」の経験があります。一つの場所を介し、人と人がつながり、学び、考え、何かが生まれ、 場所に愛着をもってもらうのが「ワタミチ」の目的でした。運営は大変でしたが、沢山の出会いがあり、幅広い方々とつながることができました。その出会いが 今の僕たちの活動を支えています。
●宮本氏が言っていた、町づくり、改革をする上で(だったかな)大切な三大要素「よそ者、馬鹿者、若者」。迫さんはよそ者で、(上古町「百貨さかい」の)酒井さんは馬鹿者、hickory03travelersの他の人達が若者、かな?いや迫さんも若者だけど(笑)
●迫さんは最後に、自分は周りから寛容と言われて、最近この寛容さが大事なのでは、と言っていたけど、それに気付いて、しかもこのように自分で言えるってのがすごいなぁと思った。これは二次会でご本人にも言ったことなんだけど、実は自分は以前から迫さんの「寛容さ」がすごいなぁと思っていて(イヤホントは最初「良くそれでできるなぁ」と思っていて)でもずっと見ているとそれが大事で、その寛容さがきっかけで人や物事が面白く上手く廻っていってる。その様子を脇で見ていた訳です。その寛容さを真似してみたかった。だけど難しい。向いてない。とかなんとかこっそり思っていた訳です。三次会で空艸舎の話も少ししていて、だからきっと自分がやるのは空艸舎みたいなイベントになるんだって、分かった気がした。
●二人それぞれのトークの後にお互いの感想になったのだけど、そこで迫さんは大学の先生もいいなぁって言ってて。宮本さんの数々のプロジェクトを見て。でも本当、彼は話がめちゃくちゃ上手だし、人をのせるのも上手そうだし、寛容さで人を育てそうだし、向いてるんじゃないかと思った。これを機会に何か学生と始まらないだろうか。美術系だとまず思いつくのは長岡造形大だね。
●数々のプロジェクトを背負う宮本さんのこの言葉
人がつながるってそんなに簡単ではありません。震災の副作用でつながった関係も、それぞれの日常の回復とともにコミットへのシラケが戻り、みんな一人になりたがっている。だから、僕にとっても正念場なんです。面倒だけれど、いろいろと背負うけれど、「コミットメントしたからこそできた価値」の小さな伝説を残したい。
重い。コミットするからこそできる価値と、抱えなきゃいけなくなる痛み。震災復興じゃなくったってそのことはいつも悩みの種だけど、事が今回のようなケースだった場合に、その精神的な重みはいかばかりかと思います。計り知れない。
●宮本さんは後日のTwitterで「上古町の奇跡」と表現していたけど、本当、その通りなんだと思います。新潟は、迫さんがいてヒッコリーがいて上古町という商店街が一つの目印になっていること、この幸福を噛みしめるべきです。これからもよろしく。
●二次会はBlueCafeさん、三次会はこれまた一箱古本市のBarBookBoxでお馴染のカマラードさんで楽しく呑ませていただきました。お世話になりました。
最後に、このような素敵な機会をくださった水と土の芸術祭の貝瀬さん、桾沢さん他スタッフの方々、ありがとうございました。これからのみずつちの展開、楽しみにしています。