Column代表亀貝のコラム

新年です。

2013.01.07 - Column , 日々 , 新潟の話題
date - 2013.01.07

明けましておめでとうございます。
本年も何卒宜しくお願いいたします。

昨年もおかげさまで色々と楽しいことや新しい出会いがありました。
今年も、よりいっそう楽しんでいきたいと思います。


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なのですが…
2012年、国としてはとんでもない年でした。

締めくくりの12月の解散総選挙では、自民党がダントツのトップ当選でした。

原発の話。
構造自体が日本の地震に耐えようもなく、管理もできない(これからも構造上管理できない)ことが完全に明らかになった発電システム。

これまで50年以上に渡り政府の力で推進し続け、50基あまりの原発すべてを作り、札束で顔を叩きながら貧困にあえぐ地方立地都市が抜け出れない構造を作り、それのみにあらず福島では必要な対震災設備を費用面から削減した他、今回の被爆を大きく広げる要因を作ったのが、我らが自民党(と現阿倍総裁)でした。それを容認し何も声を挙げなかった私も、同罪だと思っています。

30〜50年前の当時のことは、色々あったと思います。私もその時代に生きていたらきっと反対しなかった。誰もが信じたかった時代なんだと思います。唯一の被爆国日本は、そのあまりの恐ろしさ故に「万が一」を想像することさえできなかった。許されなかった。だから「『あれは金が儲かるんだ』という言葉で恐怖を押さえ込んできた」のかも知れません。核のゴミは将来の技術革新に期待し見て見ぬふりをした。それは、これまではしょうがないこともあったと思う。

だけど、そういったモロモロを含めたこれまでの経緯に対して、1ミリの謝罪も反省も自分達の責任も論じないまま(多くの国民はこの2年近く、反省し・謝り・自分の責任を感じたと思うが)、あまつさえ民主党はじめとする他党の「脱原発」を「無責任」と断じ(笑)、年末の総選挙では全12党中で唯一原発新増設を認めることを公言した、自民党。

その自民党がトップ当選。でした。

これだけじゃない。他にもTPPや外交問題など「なんで?」的な結果の選挙ではありました。
これが、我が国の現状でした。
(データを見れば「これまで自民党に投票していた人がそのまま同じように投票している」だけで、単に無党派層を選挙に連れていけなかったという実情らしいのですが)

正直、今はまだ色々論ずることも行動を起こすにも少し疲れちゃってるかんじ。気持ちが。すぐ復活すると思いますが、2013年初頭にあたっての言葉は、引き続き内田樹さんの言葉を引用させていただきます。

震災と原発事故から1年半が経った。この1年半で日本人は変わっただろうか?考え方やものの感じ方や、生き方が変わっただろうか?

変わったはずである。変わらなければ困る。だが、社会の表層を見ている限り、大きな変化は検知されていない。むしろ、2011年よりも退行しているような印象がする。

この文章を書いているのは衆院選挙戦の翌朝だが、選挙では「原発再稼働」やTPPだけでなく、「改憲」や「徴兵制」や「核武装」といった幻想的なイシューが「熱く」語られていた。

そういう論点を前景化する人たちが何を実現しようとしてそうしているのかは私にはよくわからない。

だが、彼らが震災と原発事故の話は「もうしたくない」と思っていることはよくわかる。「厭な話」はもう忘れたいのだ。

それよりは、どうすれば経済が成長するか、どうすれば税収が増えるか、どうすれば国際社会で威信が増すか、どうすれば国際競争に勝てるか。そういう話に切り替えたがっているのはよくわかる。震災だの原発事故だのという「辛気くさい話」はもう止めたいのだ。それよりはもっと「景気のいい話」をしようじゃないか。相当数の日本人がそういう気分になっている。その苛立ちが列島を覆っている。

それに対して、震災や原発事故の被災者に継続的な支援を続けてきた人たちの姿はしだいメディアの後景に退いている。

(中略)

だが、他方に、個人としてできることを黙々と引き受けている人たちがいることを忘れたくないと私は思う。誰かを責め立てても事態がすぐに好転するはずがないことを知っており、まず自分の足元の空き缶一個を拾うところからしか秩序を再構築することはできないということを知っている人たちがいる。この人たちの声は小さく、表情は静かである。だが、彼らこそ「地の塩」だと私は思っている。

私が今の日本社会を見ていて、あまり絶望的にならずにいられるのは、周囲にいる若い人たちのうちにいくたりもの「地の塩」を数えることができるからである。誰に強制されたのでも、教え込まれたのでもないし、「そうすればいいことがある」という利益誘導に従ったのでもなく、黙って「空き缶を拾う」ような仕事を淡々と担っている若者たちの数はむしろどんどん増えているように思われる。苛立ち、怒声を上げている若者たちは目立つ。だから、世の中には「そんな若者」ばかりだと人々は思っているかも知れない。だが、静かな声で語る、穏やかなまなざしの若者もまたそれと同じくらいに多い。彼らに日本の希望を託したいと私は思っている

新年のご挨拶がわり」内田樹の研究室

今年も何卒宜しくお願いいたします。